しかし、指揮権発動がなされれば、過去一度、当時の佐藤栄作自由党幹事長が犬養法務大臣の指揮権発動によって逮捕が中止されました。指揮権発動があれば逮捕を中止できます。そういう可能性はあるんですか、ないんですか。お答えください。
政治的な圧力から検察を守れなかった森大臣は、指揮権発動した犬養健法務大臣と同様、辞任をもって責任をとることと、検察、ひいては司法の独立を守るために必要となる修正案への御賛同を求め、質問を終わります。(拍手) 〔国務大臣武田良太君登壇〕
一九五四年に、当時、国会でこの法律の趣旨を説明したのが、当時の法務大臣の犬養健大臣であります。 配付資料の三を見ていただければと思うんですけれども、そのとき大臣はどう説明しているかといいますと、こう言っているんですね。
○太刀川政府参考人 繰り返しますが、政治警察の弊害という文言につきましては、犬養大臣が御答弁された当時のこれを補足する資料が残っておりませんので、その意味を正確にお答えすることは困難でございます。
当時の犬養大臣の発言を補足する資料が残っておりませんので、政治警察の弊害という言葉につきまして、その意味をこの場で正確に御説明することは困難でございます。
○青山(大)委員 学校の教科書という御答弁をいただきましたけれども、私も大学受験の予備校で世界史の先生も今やっていまして、高校のを見ていましても、私は世界史なので日本史の方じゃないんですけれども、見ると、確かに大臣がおっしゃるように、日本史のBとか日本史のAを見ますと、渋沢栄一さんとか津田梅子さんとか、確かに多いんですけれども、同等の、同じ頻度で、犬養毅さんとか岩崎弥太郎さんとか、私なんかは大隈重信
五・一五事件で犬養総理を射殺した軍人が後に反省したらあの行為は許されるんでしょうか。暴言を吐いたというその行為をもってシビリアンコントロールを否定した、そういう問題であるというふうな認識ではございませんか。
○藤田幸久君 五・一五のときも、犬養首相は、話せば分かる。実は小西さんが二十分にわたっていろいろ説得をした。しかし、ある意味では、この自衛官は、繰り返し、言わば問答無用のような形でやってきた。それから、国民の敵という言葉、実際に言葉を発しているわけですから、そのこと自体についてはっきり答えていただきたい。それの答えがないのであれば私は質問をする意味がないと思うので、答えていただきたい。
昨日、その自衛隊員と名のる者にも直接言いましたけれども、今から七十年前、この国会議事堂、またこの首相官邸で、当時の軍部がクーデターを起こして、おまえは国民の敵だ、問答無用だと言って犬養毅首相を暗殺し、また高橋大蔵大臣などを暗殺した、五・一五、二・二六、そうした事件が起きた、今、シビリアンコントロール、自衛隊のその在り方が問われている、そうしたさなかにあって、あなたの発言は、自衛隊法の五十八条などに服務
こうした中で、一九三一年十二月に発足をいたしました犬養毅内閣におきまして大蔵大臣に就任をいたしました高橋是清蔵相は、当時、世界的なデフレ不況、これが日本に及んでおりましたことを背景にいたしまして、まず、就任当日に金本位制からの離脱、すなわち、金輸出の再禁止を行いました。また、公定歩合の引下げ等による金融緩和政策を行いました。
我々の前の時代でデフレ対策をした人は、一九二九年、ウォールストリートの株の大暴落に始まります、いわゆるアメリカ発のデフレ大不況というのに対して、日本もあのときに影響したんですけれども、その前に既に私どもはいわゆる銀行破綻とかいろいろなものが起きていましたので、そういったものへの対応も早くできたとは思いますけれども、残念ながらうまくできずに、あのときは犬養内閣のときだったと思いますが、相手側の野党の総裁
したがって、このときの内閣が、犬養毅内閣がこの時代だと思いますので、憲政会だったのでこの方は経済分からぬというので、時の政友会の総裁だった高橋是清という元日本銀行総裁、元大蔵大臣、元内閣総理大臣という人を、民主党の方に頼んで自民党が、いや、逆か、これは、あのときは逆ですから、民主党が自民党に頼んで財務大臣を出せということを約束して、そのときに高橋是清は、五回目かな、ぐらいの財務大臣を引き受けてそれをやって
所蔵する資料は、単に文書だけではなく、例えば、尾崎行雄、犬養毅、吉田茂ほか憲政功労者の遺品、遺墨、絵画、あるいは、今ちょうど浅沼稲次郎さんが遭難に遭われたときの背広などを憲政記念館に展示しておるんですけれども、そういう幅広いものにわたっておりますので、こういう歴史的な資料を収集、展示する博物館としての地位を築いております。
そういう調べたことを前提に、場合によっては、もちろん皆さん御承知のとおり、過去に、法務大臣固有の権能である指揮権発動については過去一回、これは犬養法務大臣のとき、当時の自由党の佐藤幹事長の案件で検事総長に指揮権発動がなされたということで認識されていると思うんですが、いろいろな専門家の指摘では、いや、過去には水面下でいろいろな形で、歴代政権の中で事実上の指揮権発動と受けとめられるような事案があるんだという
犬養さんのときに、彼は政友会の総裁、かつ元日本銀行総裁、元内閣総理大臣、大蔵大臣でもあったけれども、この人を呼んできて任すということで一任されて、彼は受けたんだと思うんですけれども。 そしてその後、高橋是清が政友会のときに、御存じのように血盟団事件が起きて、血盟団の、内閣で井上準之助、時のあれが暗殺。
当然、フランスとの関係を気にした当時の首脳、犬養毅、大隈重信等々は浅羽佐喜太郎に圧力をかけたわけなんです。最終的には、日仏協約によってベトナム人の若者を国外退去させることになってしまいましたけれども、日本人がきちんとあの独立運動を支えたんだ、それがいまだに友情として語り継がれている。
歴史はやっぱり一九三一年末の、あれは犬養毅内閣のときの高橋是清大蔵大臣のときが多分、デフレ対策ということを正面切ってやって二年半でデフレからの脱却に成功し、ウォール・ストリート・ジャーナルに今次不況を世界最初に脱出、日本が最初に脱出に成功せりと書かせしめたほどの成功だったと思いますので、我々が学ぶ歴史は多分これだと思いますので、アベノミクスは基本的には高橋是清のあのデフレ対策というのを一つの範として
少なくとも、さきの大戦が終わって六十数年間の間、やった経験はゼロでして、その前が、一九三〇年代の前半にいわゆるアメリカ発のデフレ不況というのを世界じゅうで味わっておりますが、そのときの大蔵大臣、今言われた高橋是清という方が、たしか岡田啓介内閣の下でされたのが最後だったか、その前に犬養毅内閣でもやっておられます。日銀総裁をやられたりしたんです。
したがって、我々は政権を奪還するに当たっては、自民党の安倍執行部としては、これはどう考えてもデフレ不況からの脱却を優先順位の一番にしないと、政権奪還は単なる手段であって、目的はデフレ不況からの脱却、そして、日本を取り戻す、日本の活気を取り戻すというところが一番の主目的でしたので、私どもとしては、それをやった経験というのは、戦前、一九三一年十二月から、あれは犬養毅内閣のときにスタートしました高橋是清大蔵大臣率
そのときに、日本は犬養毅という方が内閣総理大臣だったので、たしかこの方は憲政会だと思いましたが、とにかくこの非常事態にあって、政友会の総裁だった、元日銀総裁、元内閣総理大臣だった高橋是清を引き抜いて、引き抜いてというのはちょっと聞こえが悪いね、頼んで大蔵大臣を引き受けてもらう。
当時、日本にもそれが波及してきて、政権が替わって、犬養内閣に替わったんだと記憶していますが、そのときに、政友会の総裁でもあり日銀総裁でもありました高橋是清を、他党からいきなり自党の内閣の大蔵大臣に登用しております。